失われた永遠の夢を乗せて

 

 ぼくたちの遠い幼い日々の記憶に息づくメリーゴーランドは、何かしらえも言われず不安な感覚を伴っている。その感覚を、楽園喪失の悲しみと呼ぶことは可能だろうか。笑顔で見守ってくれているはずの母の姿が一瞬、視界から消えて不安にかられる。けれど、子どもはやがてすべてを忘れて、上下動と回転という二つの運動から生まれる不思議な快感に熱中しはじめる。その眩暈にも似た開放の感覚は、ことによるとぼくたちが生まれて初めて経験する四次元の感覚ではないか……。しかし今、ぼくたちが水谷誠孝の絵画を通して見るメリーゴーランドは、そんな幼い日々の原初的な記憶とどこか趣を異にしている。何よりも人間が不在なのだ。メリーゴーランドは嬉々たる子どもたちの声や音楽から解き放たれて、すでに生きた動物たちの静かな楽園と化している。動物たちはみな晴れやかに着飾り、時には濃紺の夜空のもとで、時には緑なす草地でひっそりと息をしつつ悲しげに孤独な夢にひたる。だが、いったん天空をめざし、規律正しく駆けのぼる姿の雄々しさはどうだろうか。ぼくたちはそこで気づかされる。天翔ける夢こそ、永遠の杭に繋がれた木馬たちの永遠の夢でもあったことに。そしてそこに描かれた木馬たちが、ぼくたち人間の存在そのものメタファーであることに。メリーゴーランド、それこそは、ぼくたちが永遠に失った原初の夢を乗せてたゆたうゴンドラである。水谷誠孝が、その優れたテクニックと構成感覚(「黄金色と6層のメリーゴーランド」のみごとさ!)を駆使し、黄金と赤と濃紺を基調として描き分けた世界は、動物と人間がひとしく無垢であった楽園の記憶のかけらである。そしてかけらであるキャンバスの一枚一枚が、まさに千載一遇ともいうべき「主題」との出会いの喜びを物語っている。

 

名古屋外国語大学長

日本藝術院会員

ロシア文学者

亀山郁夫